こんにちは
さて、前回取り上げた就活サイトを見ながら考えたことは
何かを量るには、根拠となる【規範】がまずは必要だという当たり前の基本ですw
【底辺】とか【上位】とか【勝ち】とか【負け】とかを論じる際に
なぜ問題がこじれるかと言えば、
「何を」基準とするか、
「なぜ」基準とするか、
「誰が」基準を作っているのか、
「どうやって」基準を作るのか、
「いつ」の時点を基準とするのか、
「どのような場面」を基準とするのか、
そこをすっ飛ばして、
「おまえは底辺だ」と言えば「なんだこの野郎!」
になってしまうのは目に見えていますw
「底辺」の部分を
「社会的には底辺」「底辺と一般に言われている」「底辺と呼ぶかは自由だ」
「本当は底辺ではないかもしれない」などと言い繕ってみても一緒です。
何もわかってないから、言い繕いばかりが先行するのです。
たとえば、体重が90㎏の人がいたとします。
「重すぎである」
「世間では重すぎだと考えられている」「重すぎだと一般には考えられている」
「重すぎだと言うかは自由だ」「本当は重すぎじゃないかもしれない」と
いくら言い繕ってもアタマが悪そうで無意味なことは明らかです。
例えば身長198㎝のバレーボールの選手だとしたら、
むしろスラッと瘦せた感じに見える選手かもしれません。
178㎝くらいで、ずんぐりとした体型だとしても、角界やアメフトでは
軽すぎて通用しないケースもあり得ます。
つまり、物差しが違えば、高いか低いか、重いか軽いか、底辺か上位かは
変わってくるはずです。
「○○というかは自由」などと言うのは、
凡そ言論の体をなしていません(呆)
それ以前に何を伝えたいのか全く不明ですw
件の就活サイトの監修者(笑)は
自身が就活の際に自分のことをうまく伝えられずに苦労したと言っているそうですが
当たり前です。
大阪府立大学大学院では当たり前ではなかったのでしょうか?ww
言論に於いて、話者は「○○だからそれは▽▽である」と
【規範】を定立することが求められます。
それが苦手な人になぜ学位(笑)が与えられているのか、
わたくしには甚だ疑問でありますwww
学位を与える側も、与えられる側も、
学位を穢すような質の悪さを露呈しているケースが最近とくに非常に目立つので
最低限、論文書きなら論文書きらしい【言論】のルールってもんを
わきまえて欲しいです。
以上、しがないこどおじの独り言でしたぁああああああWWWWWWWWW