こどおじ悠々投資生活

見方によってはちょっと悪臭がしますww

氷河期が悲惨だというなら、わたくしはこどおじで本当に良かったです()①

こんにちは

 

さてしばらく、アンチこどおじのみなさんを念頭に

徒然と、まとまらない考えを書いていくことにします。

 

きっかけは、我らが安倍ちんを狙撃して時の人となった山上被疑者が

「氷河期=悲惨」という筋書きの上で語られ

「氷河期」の悲惨さをネタにするための格好の材料として祀り上げられたことです。

 

例えば朝日新聞社のこういう記事です↓

「脱落」したら這い上がれない 銃撃事件と氷河期世代に固定した“悲惨な状況”(1/2)〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

 

氷河期という世代は、その親が大抵の場合、団塊の、いわゆるモーレツ世代で

学歴至上主義の価値観の元で育てられた最後の世代だと、わたくしは思います。

 

わたくしが消防のガキの時分に思い描いた花形のエリート街道は、

たとえばこんな感じ。

 

・有名国私立高→東大法学部→大蔵省→天下ってシンクタンクの理事長

・医学部→医局→大学病院で勤務医→開業

 

消防、少なくとも厨房くらいまではわたくしの周りでも、

こういうのが花形だという考えに異論を唱える奴は

ほとんどいなかったように思います。

 

この価値観が大きく崩れたのは、やはり90年代後半のITバブルあたりですかね。

本当に優秀なヤツは、新興のITとか外資コンサルとか、将来が不安定視されながらも

成功すれば年収数千万、転職しながらキャリアを積み上げて輝き続けるんだぞw

 

みたいに言われるようになった。

 

んで、必ずしも資格免許職とか公務員試験が至上ではないみたいに言われて

次々職を変えるフリーターはカッコいい生き方みたいな、

無頼派的な生きざまが好まれ始めた。

 

でもITバブルがはじけちゃって、

【仕方なくフリーター】みたいなやつがわんさか生まれた。

 

それと同時に、転職してキャリアアップを狙った奴らも、転職市場がまだまだ小さくて

そう簡単にいかない、みたいなww

 

現在では、とにかく食うために仕事するのが当たり前、みたいになってるけど

当時はまだ、自分好みの洒落た生き方を求める、くらいの

余裕のある雰囲気が漂ってたんだな、

ある意味、牧歌的な時代でしたw

 

現在はとにかく、「セイシャインガー」「ヒセイキガー」「同一労働に同一チンギン」

「格差ガー」「ジョセイ比率ガー」って

なにか報酬とか年収とか男女・非正規の格差とかの話題にばっかりに偏ってるけどw

 

でもさ、純粋にカネだけを求めるんなら、

学歴とか職歴とかって、実は迂遠じゃないのか?という悩みが

わたくしには常にあったんですね。

高校に上がったころから、この悩みが大きく頭をもたげてきた。

 

とりあえず、超学歴社会では、試験の点数は年収に直結するわけです。

でも、学歴社会がだんだん崩れ始めたら、

消防のころから16年以上もかけたベンキョーは

単なる事務処理能力を証明する道具になってしまうわけです。

 

わたくしはカンチョ―訪問をしたときに、カチョー補佐とかいう奴が

はっきり言うのを聞いてしまいました。

 

「公務員試験なんて、事務処理能力を見てるだけだよ」、って。

 

カネを得るための手段として、キャリアを積み上げるってのはホントに迂遠だと

思います。

真面目にキャリアを積み上げるのには、きっと別に理由があるんだろうな、

そうじゃなきゃ

やってらんねーよって・・・・(続く)