こどおじ悠々投資生活

コツコツ投資家ではなくコソコソ投資家★彡(臭   

氷河期が悲惨だというなら、わたくしはこどおじで本当に良かったです()➁

こんにちは

 

さて前回の続きを書いていきますね。

 

わたくしが高校生くらいの90年代後半ってのはまだ予備校ってのがたくさんあって

全共闘世代(≒団塊世代:親と同世代w)で研究職として将来を嘱望されながら、

大学時代に暴れすぎて公安の餌食になって前途を絶たれたみたいな、

もともと相当なキレモノの講師がたくさん在籍してたわけです。

 

ある意味わたくしの世代は恵まれていたのかもしれません。

教育は、迷走する現在(笑)よりもおそらく中身が数段充実していたと思います。

少なくとも2000年代の前半くらいまではw

 

先が見えない時代という意味で辛かったですが、

わたくしの20歳前後(90年後半から2000年ごろ)っていうのは本当は、

今よりもっと活気があって

なにか熱を感じさせる、そういう時代だったんだろうなぁと思います。

 

学歴社会ってのは、なるほど、没個性的で画一化された人材ばかりが生産され

画一的な大量生産に順次投入される、みたいな、

とかくマイナスのイメージで語られますが、

右も左も分からない消防や厨房を

「とりあえず今は勉強()」と納得させる魔力を

同時に持ち合わせていたわけです。

 

将来のことはよくわからないけど、

とりあえずいま勉強しとけば、どうにかなるんじゃないかな・・・?

だから気分的に落ち着いて勉強ができる、

そういう意味で、現在よりも安定的に優秀な人材を世に送り出すための

素地があったのだとわたくしは思います。

 

いま将来が見えずに悩んでいる若い人に、「とりあえず勉強w」なんて言っても

説得力ないなぁ・・・、って思ってしまいます。

むしろヘタに無責任なことを言うと恨まれそうですw

そういう意味で、子供を育てにくくなっている。

 

所得がどうとか、そういう以前の問題です。

 

昔のエライ人は、学生時代に苦学して、それでも身を立てることに一生懸命でした。

新聞配達をし、代議士事務所でバイトしながら、夜学に通って一人前になった人は

数知れません。

 

いまの若い人に、そんな生き方を奨めるべくもありません。

頑張って学位をとっても、任期付きの研究職にありつければ御の字で、

任期が切れれば再び新しいポストを巡って椅子の争奪戦に挑まないといけない。

 

東大卒が、霞が関よりも都庁に流れる時代です。

都庁なら、別に東大じゃなくてもいいじゃん、って誰でも思うのではないでしょうか。

わたくしは、こんな社会でモチベーションを保ってキャリアを積み上げてたら

いつか自分が壊れてしまうだろうな、と思います。

 

なにより、自分にウソをついて、モチベーションのないところに無理やり

折り合いをつけながら

組織にぶら下がってお駄賃をもらい続けながら老人になるような生き方は

時間の無駄遣いのようにおもいました。

 

わたくしは何より、自分が好きな時間にお昼寝がしたいのですw

たくさん時間があればお昼寝するのが一番ですww

わたくしは、自分が儲けた分は組織なんかに上納せずに自分の懐に納めたいWw

 

だから、わたくしはこどおじでいいのです。

次の世代を育てることに、わたくしは特に意義を見出せない。

悩む若い人に何を言えばいいのか、わたくし自身がよく分からないのだから。

 

氷河期は就職難で辛かったというより、90年代以降ゆっくりと進んだ

【学歴社会の崩壊】というパラダイム転換にあわせて、

新しい自分の生き方を手さぐりで模索するのに苦労した世代だという風に

わたくしは思いますww