こんにちはwwwww
「啓典の民」ことユダヤ人が、神に与えられし地エルサレムの奪還を巡って
積年の闘争を繰り広げてきたことは周知の事実であります。
一応安住することを許された(主に西側諸国の承認によって)わけですが、
それと引き換えにパレスチナの先住民をガザ地区とヨルダン川西岸の
住環境の悪い狭い地域に強制的に移住させることとなったため、
彼らの反感を継続的に買い続けることになったわけです。
ユダヤ人がエルサレムを巡る積年の闘争を続けることになった原因は、
≪旧約聖書≫に、「エルサレムの土地をユダヤ人に与える」と書かれてあったためです。
エルサレムがローマ帝国の植民市となり、さらにイスラム勢力に支配され、
神の言葉が長年にわたり有名無実化してしまったことが、
この闘争を血なまぐさいものにしてしまいました。
神は人の心に宿るものだとするならば、ユダヤ人がエルサレムを奪還し、
その地で排他的にふるまうことも神の思し召しであったでしょうか。
旧訳聖書成立の当初、ユダヤ人以外にその地を争そう者がいなければ、
神の言葉を奉じてユダヤ人がその地で神の言葉に従い平穏に暮らすことに
何らの疑いを差し挿む余地はない。
ローマ人やイスラム勢力にしてみれば、そこに何が書かれているかなど
何ら関知するところではないし、関知したとしても、
それに従わねばならない理由は何もない、という主張ももっともである。
そして、ローマカトリックも、イスラム教も、旧約聖書の内容とは別に
エルサレムを独自に聖地として定めてしまったため、これの帰属を巡って
三つ巴の争いとなるわけです。
翻って、わがニポンの宗教を振り返ってみるに、
この国には有史以前から続く神道系が存在し、飛鳥時代に伝来した仏教系と
抗争したのは、大化の改新(645)と、廃仏毀釈(明治維新)の2回くらいです。
そして、いずれも短期間のうちに収まりました。
仏教系と神道系は教義を巡って論争したことはあるけれども
聖地を巡って戦争したことはないw
宗教が【心の問題】なのだとしたら、どこにいようが宗教は成り立つわけです。
土地とその付属物を巡る争いは、宗教の本質ではなく、むしろ
ヤクザのシマ争いというべきものですww
このようなシマ争いを≪宗教≫だと認めてはならないw
どこぞの氏神が「ここは○○家が耕してよい」と言ったからと言って、
その土地を排他的に占領し耕作する権利が(少なくとも明治維新後の土地法制では)
(国家権力によって)○○家に認められるわけではない。
ニポン国に置き換えて考えればそれは明らかです。
土地と宗教が結びついたとき、それは宗教としての本質を喪って、
ただの一部のその宗教を奉じる人間のエゴに転化していることは明白です。
本当に、パレスチナの地において、ある宗教の教徒が他の宗教の教徒に対して
(氏神様のご託宣を理由にww)専横的にふるまってよいか
もう一度、氏神様(笑)に訊いてみればよい。
それが、和平への最も近い筋道であるようにわたくしには思われますw
P.S.
9月末分の集計が終わりました。例によってわたくし個人名義分のみの開示です。
来期分からは、運用外の一時収入を加えて若干運用枠が拡大するので
これが既存の運用枠における最終集計となります。
・・・・まだ殖えとるがな(汗)・・・・wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww