こんにちはww
10年前は、こういう事態を正面から指摘する人はむしろ稀で
論調としては「誰とでも繋がる」とか「表現・言論手段の多様化」とかいう文脈で
SNSの登場を好意的に受け止める人が圧倒的に多かったように思われます。
>言論空間の豊かさ
・・・しかし、この「豊かさ」の意味を本質に迫った理解の仕方で表現できる人が、
どれだけいただろうか、とww
ニポンにおいては、SNSの登場のはるか以前から、
誰でも便所の落書きが自由にできる巨大掲示板が存在していました。
「2ちゃんねる」ですww
まぁ、そこに日々書き込まれる内容を見れば、SNSによって言論空間など
成り立ちえないことは火を見るより明らかだったと思うんですが、
今は、ガッコでもSNSの使いかたを教えているらしい()
それはガッコで「2ちゃんねる」(現在は実質「5ちゃんねる」に置き換わっている)
へ(秩序立てて?!)落書きをしましょう、と教えているようなもんで、
こんな時代にガキンチョを教育しなきゃいけない世代はホントに悲惨だなぁと
お悔やみを申し上げますww
わたくしはこどおじで本当によかったぁぁああああwwwwwww v(^^♪
言論空間は、発信手段がほぼ紙媒体に限られていた時代には、
元々敷居の高かったものです。
いわば「高級品市場」でした。
言論を紙面で操ることができる人は、
ジャーナリスト、科学者、文壇関係者にほぼ限られていたように思います。
一般の大衆は発信する機会に恵まれなかったわけですが、
その時代の方が遥かに言論空間は「豊か」であったと思う。
論点について、勝ち負けよりも掘り下げに対する理解が前提にあって
粗製乱造をむしろ戒める空気がありました。
今はジャーナリストや文壇、科学者の発信に至るまで、
目を通す価値のある著作は極めて少数になってしまいました。
現在の「言論」は、ガキんちょに推奨するにはあまりにレベルが低すぎます。
第一、勝ちだとか負けだとかが前面に出過ぎています。
「言論」というのは、本来勝敗を決するためのゲームではない。
或る「言論」に対して必ずそのアンチが存在するわけではないのです。
現在は、ただ【口論】を楽しむために<言論もどき>を弄する者が多すぎる。
一時期、「ディベート」を重視する教育が流行っていましたが、
それの悪弊かもしれない。
要は「推論」の方法が正しいか否かの問題なんだからさ、
それはガッコで「推論」の方法に就いて、もう少し突っ込んで教育すりゃエエだけやん
・・・ってことなんですが
今は、博士号取得者とかでも、かなり怪しげな議論を弄する人が多いので・・・、
残念なことですが。
やはり、カネのことだけ考えていたほうが、わたくしは「豊か」でいられる \(^^♪wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww